日記

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震災から3ヶ月。気仙沼へ。

2011年6月13日 (月)

金曜、土曜と気仙沼までボランティアとしてお手伝いに行ってきました。

気仙沼市総合体育館です。

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焼肉を炊き出しに行きました。右は同じく会社単位でボランティアに来ていたアイム・ユニバースの藍川さんと左は一緒に炊き出しをした自衛隊の方です。

私たちのほか、ベトナムの留学生からもフォーの炊き出しもあり、食料は過剰な状態。

しかし、震災から3ヶ月も経ったというに、いまだにこんな生活をしている方々が多くいます。

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3ヶ月ですよ・・。

こんな生活を続けていたら心が病んでしまいます。体の次は心が疲れます。

本当に心配です。

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彼は紺野くん。

ハキハキと親切に被災者、そして私たちボランティアを誘導してくれていたので、てっきりボランティアなんだと思っていたら、なんとここに身を寄せる被災者の一人でした。

「仮設に応募しても当らない」

「いつまでここにいるのだろうか」

と先の見えない避難生活を話してくれました。

そして、津波で家を失ったこと、社会人であるが職場もなくなり無職の状態だと寂しそうに語っていました。

そんな辛い状況で避難所に暮らす人のことを思う話に、私はホロリときました。

こんなにいい青年がいる東北。辛い状況を経験し、そして乗り越えていって欲しい。

人間として成長するに違いないと思う。紺野君のような心の優しい子に、物事を見極める目と強さを備えてもらい、東北の復興を引っ張っていって欲しいです。

誰かが言っていました。「復興の妨げになっているのは人間の心」だと。つまらない権力争いをする政治家がいなくなれば復興はもっと早まるのではないかと。

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自衛隊の方は熊本から来ていました。

とってもフレンドリーで、そしてとっても親切。感激しました。

「みなさん、先にご飯どうぞ! 自分らは一番最後、皆さんが帰った後であります!」

避難所にも「自衛隊さん、ありがとう!」と子供が書いたと思われるメッセージが貼ってありました。

ほんと~~に感動ものですよ。自衛隊の活躍は!

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バスから見た海に近い気仙沼はこんな感じでした。

ハエが沢山いて、魚が腐ったようなニオイがしていました。

津波の恐ろしさ、3ヶ月経っても感じました。沢山の人の思い出が「がれき」と化してしまった。悲しいことです。

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東日本大震災でお亡くなりになった方の冥福を改めてお祈りします。

できる範囲になりますが、長期的なサポートをしていきたいと思います。

PS

ボランティアの仲間たち、お疲れ様でした!

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2011年6月13日 (月) | 人生勉強 | | コメント (6) | トラックバック (0)

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コメント

先日はお世話になりました。お肉おいしかったです(笑)

今から会社の面接に行ってきます。まだ受かるかどうかはわかりませんが、しっかりと働こうと思います。

今までたくさんのボランティアの方々に助けられ、本当に感謝しています。僕も塩村さんやボランティアの方々の期待に応えられるようがんばろうと思います。ほんとうにありがとうございました!

★こちらこそ、親切にありがとう。お仕事決まるといいね。そして早く元の生活に戻れるといいね。震災から3ヶ月も経って、3ヶ月もあの過酷な避難所で暮らしているなんて大変だと思います。お年よりが青い顔して横になっている姿をたくさん見ました。家がなくなる・・・。そして家族が友達がお亡くなりになり、心を痛めている方が多いでしょう。その心労にあの避難所生活は疲れてやんでしまう。
紺野君、笑顔で過ごせるよう、紺野君がお年よりや子供に笑顔で接してあげてね。

投稿: 紺野 諒平 | 2011年6月13日 (月) 11時14分

気仙沼でサインを頂いた者ですhappy01。先日はお疲れ様でした。

被災された方のお腹も心も満たされる素晴らしいご支援だったと思います。

紺野くんもブログを見てとても喜んでいましたよ。

笑顔と希望をありがとうございましたsun

★もしや、あなた様は緑の服を着ていた九州のお方・・・!
こちらこそ本当にありがとうございました。最後は丘の上から手も振ってくれてありがとうございました。バスの中、全員で手を振りましたが、きっと外からは見えないガラスだったのではと思います。見えてなかったかも知れないけど、全員で「ありがとう~!!」って手を振りました。
今回は本当にお疲れさまでした。政府ではなく緑の人達のほうが被災地での人の心の支えになっていたと思います!

投稿: いちろう | 2011年6月13日 (月) 18時50分

被災が大きい地域を見ると、まだまだ時間もパワーも大きく必要だと感じますね。
そんななか、少しづつも前進している様子も感じられますし、これからも皆で力を合わせて必ず復興させましょう。
土だった場所を土に戻すのではなく、土だった場所を芝生に出来るくらいな復興が出来るといいですね。

あやかさん、今回もボランティアお疲れ様でした。
一東日本住人の一人として、「いつもありがとう。」って気持ちでいっぱいです。

一日でも早く皆に笑顔が戻ります様に。
 SMILE AGAIN

★ありがとうございます。
笑顔に戻れる支援は何だろうかと考えさせられる気仙沼でのボランティアでした。
避難所はTVで見ているのと、実際に体験するのとでは、本当に感じ方が違いました。私には3日と耐えられない生活です。
「有難う」って頭を下げてくれる被災者。でも、普通に暮らしていればぼボランティアに頭をさげながら生活することなんてないですよね。
きっと、感謝しながらも、悲しい気持ちになっている人もいると思います。
はやく、普通の暮らしができるように、政府に対応をお願いしたいです。

投稿: 誉 | 2011年6月13日 (月) 22時50分

この話2回目のコメ書きになってしまいますが、お許し下さい。

紺野君や緑の服(自衛隊の方?)の方のコメ、嬉しいですね。読んだ皆がそう思ったと思います。簡単に頑張れとか言っていい次元じゃないだろうけど、上手い言葉が見付からないので使わせて下さい。
紺野君をはじめ皆さん、頑張って下さい。
東日本は必ず復興するから。

頑張れ気仙沼!頑張れ東日本!!

★その気持ち、きっと届くと思います!
応援が大事です★

投稿: 誉 | 2011年6月19日 (日) 23時18分

思えば去年までは夏にこの場所は釣りや海水浴客や観光でにぎわってた地なのに、あのひどい津波の被害ですべてなくなってしまいショックですね。今被災している人には熱中症で心配です

★そうですね・・・。災害の恐ろしさ、そして備えが大切だと今回学びました。

投稿: エリー | 2011年6月23日 (木) 12時28分

初めまして。こんにちは。
紺野の兄です。
先日は弟が避難所で御世話になりました。
気仙沼での御支援・御声援ありがとうございます。そしてお疲れ様でした。
私は弟は別世帯で、1歳の娘と嫁と仮設住宅に入居することができました。
ですが…仮設住宅は、配給を貰うことを禁止され、頼みの義援金も入らず、避難所とは違った厳しい生活が待っていました…
私自身、震災前から病気にかかり、震災後から更に悪化しました…そんな状態なので仕事もできず、嫁がフルタイムで仕事を頑張っています。
幸い、私はmixiをやっているのですが、マイミクの皆様から御支援を頂いて、生活を支えて頂いています。
3ヶ月以上経っても、改善されない厳しい実状を、今一度伝えて頂ければ幸いです。

★そうなんですね・・・。大変な暮らしを強いられているんですね・・・。地震は天災ですが、そのごのこの惨状を被災者に強いているのは人災ですよね。それを迅速に救うことのできない政府・・・。震災をキッカケに、優しい国に日本は変わらないといけないですね!

投稿: 紺野(兄) | 2011年6月28日 (火) 14時35分

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